2006 04/12 更新分

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立教大連続講演会
◆立教大学、連続公開講演会◆
“環境と経済の新たなパラダイム転換必要”寺西JEC事務局長が基調講演で強調

立教大学の連続公開講演会の3回目が06年3月10日午後1時から、東京・池袋の同大学キャンパスで行われました。この連続講演会は、文部科学省の「魅力ある大学院教育」イニシアティブ採択プログラムの一環で、今回は「持続可能な未来への展望―経済・環境・社会・教育の視点から―」と題し、今日の人類にとって最大の課題である持続可能な社会の構築に向けて、経済・環境・社会・教育の視点から、その展望を見出すことに主眼が置かれました。日本環境会議(JEC)から寺西俊一事務局長(一橋大学大学院教授)が「持続可能な未来への展望―サスティナブルな社会・経済を求めて―」と題する基調講演を行いました。

雨の中、約100人の人たちが集まった
=写真はいずれも06年3月10日、東京・池袋の立教大学で


≪鳥飼玖美子さんが「異文化コミュニケーション学」を説明≫

連続公開講演会は阿部治立教大学教授の司会で進められ、初めに鳥飼玖美子同教授が「持続可能な社会のための異文化コミュニケーション学」と題し、<異質な他者との相互作用>という視座から特定の領域を超えて再構築した経過などを説明するとともに、「持続可能な未来」をキーワードに“行動する研究者”を目指すのが異文化コミュニケーション学であり、そのお披露目とも言えるのがこの連続講演会であるとの趣旨説明が行われました。

異文化コミュニケーション学の趣旨説明をする鳥飼さん


≪寺西俊一さんが「持続可能な未来への展望」で基調講演≫

つづいて、寺西俊一さんの基調講演に移り、寺西さんはパワーポイントを使いながら、「持続可能な未来への展望―サスティナブルな社会・経済を求めて―」と題して概要次のような講演をしました。

 

いまや「環境」と「経済」の関係の新たなパラダイムへの転換不可避

 

多くのみなさんはご存知と思いますが、いま、いろいろな場で使われている「持続可能な発展」―Sustainable Development(SD)―という言葉は1987年、国連の特別委員会「環境と開発に関する世界委員会」、通称:ブルントラント委員会が世界の賢人を集めて3年かけて議論し、まとめた報告書『Our Common Future』における定義―

「将来世代の人々が自らの必要(needs)を充足する能力

(ability)を損なうことなしに、現存する世代の人々の必要

(needs)を充足する、そのような発展(development)」

―から来ています。

きょうは、この大きなテーマに専門の「経済」の立場から、いささか勝手なことを申し上げさせいただきたいと思っています。

「必要」→「欲求」、「発展」→「開発」  最初の誤訳が後々尾を引いた?

SDとは、どういうことを示唆しようとしていたのでしょうか?

残念ながら、私たちが過ごしてきたこの20年にはSDが実行されてきたとは思えません。むしろ、益々逆行する社会に向かっているように思えてなりません。

SDは、1992年6月のいわゆるリオ・サミット、ブラジルのリオデジャネイロで開かれたことから「リオ会議」とも言いますが、ここで世界共通のキーワードとしてオーソライズされました。それから数えても15年目です。

SDについて熱く語った寺西さん

このSDという思想や言葉が最初に日本語に訳されたのが1987年4月ごろだったと思いますが、かの大来佐武郎先生が監修者になって、当時の環境庁を中心とする役人の方々が訳されたのではないかと思います。しかし、その訳と原書を比べてみて、意識的か無意識的かは分かりませんが、多くの誤訳が散見されました。さすがに大来先生の序文は格調高いものでありましたが、本編の中には、たとえばSDとは何か? というもっとも基本の部分で、将来世代の人々が自らの「必要」(原語はneeds)を充足する、その能力を損なうことなしに現存する世界の人々が必要を充足する―そのようなdevelopment(発展)のあり方をSDとすると定義するとしているわけです。

このneedsという言葉をなんと訳してあるか? 「欲求」とか「欲望」と訳しているんですね。もし、「欲求」とか「欲望」に対応する英語を探すとすれば「Wants」だと思います。これを、さらに強めた表現にすれば、「Greeds」(貪欲)という言葉になります。

この言葉で思い出すのはマハトマ・ガンジーによる次の言葉です。彼は、「世界は万人の必要(needs)を満たすには十分だが、万人の貪欲(greeds)を満たすには十分ではない………」と述べています。needsとwantsやgreedsはまったく意味が違うのです。

また、development−発展はなぜか日本では「開発」と訳されています。しかし、「開発」とは、いわば他動詞的な表現です。すなわち外からある方向に向かわせる、悪く言えば押し付け的な意味合いが強いのです。いわゆるODAによる援助などはその傾向が強いと言えるのではないでしょうか?

さて、あのリオ会議の主催者になったモーリス・ストロングが会議のあとで、「SDが満たすべき3つの規範的基準」を以下のように示しています。 

(1) 「社会的な衡平性」 (Social Equity)
(2) 「エコロジー的な分別ないし深慮」 (Ecological Prudence)
(3) 「経済的な効率性」 (Economic Efficiency)

(1)の「社会的衡平性」は、南北問題などが念頭に置かれています。北と南の著しい格差でなく、社会的な衡平性が必要であるというものです。

(2)の「エコロジー的な分別………」は20世紀の経済成長があまりにもエコロジー的な原則を無視し、環境的配慮に欠けていたものであるという反省に基いています。

そして、(3)の「経済的な効率性」は、やがて80億人という人口がこの地球に溢れた時、経済的な無駄(非効率)は許されないという要請に基いています。エネルギーひとつとっても全人口が衡平かつ効率的に使うべきだという主張です。

(2)のEcological Prudenceについて少しブレークダウンしましょう。

有名な環境経済学者の一人であるハーマン・デーリーが、「デーリーの3原則」として、以下のような原則を明快に示しています。

(1) 再生可能資源の消費ペースは、その再生ペースを上回ってはならない。

(2) 再生不能な資源の消費ペースは、それに代わり得る再生可能資源が開発されるペースを上回ってはならない

(3) 汚染の排出量は、環境の吸収能力を上回ってはならない。

この原則を新しい21世紀のエコノミーの発展における前提としなければならないと彼は主張していますが、実はこの考え方は、1800年代の英国に生きたJ.S.ミルが「定常経済」(Stationary-State Economy)としてすでに提唱していました。ここでは詳しく触れる時間がないので先に進めます。

ところで、厚生労働省によりますと、日本は2007年頃から人口は減少に転じるとされていましたが、すでに今年(2006年)から実際に人口減少社会に転じています。日本の経済成長率をみても、中国や韓国に比べると明らかに成熟経済になっています。今後、ゼロ成長、場合によってはマイナス成長も現実的には考えなければなりません。

しかし、いわゆるGDPで計った成長率がゼロでもマイナスでも、経済の質的な豊かさ、人間的な豊かさは追求できるのです。この点では、先のミルと同時代に生きたJ.ラスキンが提唱した「豊かさ」の概念の今日的意義を改めて考える必要があると思います。ラスキンは、次のような有名な言葉を残しています。

‘There is no wealth without life’

もし彼が現代に生きていたら、次のように言い換えたかも知れません。

‘There is no wealth without environmental life’

 これは、’Economic Rich’の追求から、’Environmental Wealth’の充実へ、ということであり、環境的、文化的な生活にこそ豊かさがあるということです。今日、私たちは、このラスキンによる「豊かさ」の概念に注目すべきだと思います。

つい先日、93歳で大往生されました都留重人先生が絶筆となった『市場には心がない:成長なくして改革をこそ』(岩波書店)のなかで、改めてラスキンを評価しています。ご関心のある方はお読みいただいたらいかがかと思います。

冒頭にご紹介した誤訳を初めとして、わが国におけるSDは総じて正確に伝えられていないというきらいがあります。その最たるものが某有力新聞社による「持続可能な経済成長」といった表現です。さらに、これを縮めて「持続可能な成長」としてしまっていることです。大いなる誤りです。重要なのは「エコロジー的観点から見てバランスある発展」なのです。このような曲解は世界的にも恥ずかしいことです。

さて、このように考えてくると、環境を守るということと、経済を豊かにしていくという二つの関係をどうしていくかという問題が古くて新しい問題として依然横たわっています。そこで、私自身がSDについてどう考えるか、環境と経済の関係をどう捉えるかについて申し上げたいと思います。寺西によるSDの理解と定義に基けば、以下のような表現になります。

 ●「環境的」にみて健全で維持可能な発展」
(Environmentally sound and sustainable development:ESSD)


もしくは、

●「エコロジー的にみて健全で維持可能な発展」
(Ecologically sound and sustainable development:ESSD)

 

そして、この実現のためにはどうすべきかが重要です。そこでは、「環境」と「経済」の関係の捉え方における新たなパラダイムの転換が求められます。これまでの基本的なパラダイムを整理すると、以下のようになります。

(1) 「環境」と「経済」の「対立」論のパラダイム

(2) 「環境」と「経済」の「調和」論のパラダイム

(3) 「環境」と「経済」の「両立」論のパラダイム

(4) 「環境」と「経済」の「容器」論のパラダイム

―です。

日本の場合、1967年に「公害基本対策法」が制定され、環境と経済は調和させましょうと謳われました。しかし、やがてそれでは収まらなくなり、93年の「環境基本法」になりました。そこでは、経済も環境も大事、なんとか両立させられないか? という考え方になりました。しかし、私はもう一歩進んだパラダイムへの転換、確立が必要になっていると思います。それは、「環境」は「経済」にとっての容器(基盤)だという(4)に示した新たなパラダイムへの転換です。

私は、[社会]と[自然]の関係、私たちの人間生活の成り立ちについては、次のような概念図を念頭に置いています。

この概念図で示されているように、経済が発展するためには土台となる自然をきちっとキープしなければなりません。この自然あるいは自然がもたらしてくれる資源を徹底的に収奪してしまうというやり方はもはや通用しません。別の言い方をすれば、環境こそ経済を豊かに発展させるための基盤であり、容器である、ということです。この容器を壊してしまえば、中身の経済の繁栄はありえません。こういう認識に基いたパラダイムへの新しい転換が求められているのです。

そして、環境を保全するための基本的な課題は以下のように3つに整理することができます。

●<汚染防止> (Pollution control)
●<自然保護> (Nature conservation)
●<アメニティ保全> (Amenity improvement)

これらは相互に重なり合い、密接に関連し合います。

こうした環境保全を前提として発展する経済―これを、私は、簡略化して「サスティナブル・エコノミー」と呼んでいますが、正確にいえば、以下のような表現になります。


●「環境的」にみて健全で維持可能な経済」
(Environmentally sound and sustainable Economies:ESSE)


もしくは、

●「エコロジー的にみて健全で維持可能な経済」
(Ecologically sound and sustainable Economies:ESSE)

 

そして、こうした「サスティナブル・エコノミー」を実現していくための課題ないし諸条件を整理しますと―


(1) 環境権の確立

(2) 環境責任の明確化

(3) 環境アセスメントの制度化

(4) 環境技術の育成・発展

(5) 環境負荷の少ない生産

(6) 環境負荷の少ない流通

(7) 環境負荷の少ない消費

(8) 資源浪費の少ない廃棄

(9) 資源コストルールの合理

(10) 資源コストを適正に内部化した価格体系の形

(11) 環境配慮型市場の創出・発展


(12) 環境保全型投資への転換・誘導

(13) 環境保全型税財政の推進

(14) 環境金融の拡充・発展

(15) 環境監査システムの導入


(16) 環境勘定体系の構築

―などがあげられます。そして、これからは、「新しい環境経済政策」が必要となっています。また、これからの環境政策も、いわば「第一世代の環境政策」から「第二世代の環境政策」への脱皮を図っていかなければなりません。とくに、これからは―

*後始末的な政策から、予見的・予防的政策への転換

*「部分治療」から「全体治療」型の政策への転換

そして

*「環境保全のための政策統合」
(Environmental Policy Integration : EPI)の推進

―が強く求められています。

最後に、日本の公害・環境問題の原点である足尾鉱毒事件の現場の最近の写真をお見せして、この講演を終わりたいと思います。

足尾鉱毒事件は日本の公害・環境問題の原点だ

≪パネルディスカッション≫

続いて内山節(立教大学教授/森づくりフォーラム代表理事)、川嶋直(同/キープ協会常務理事)、小林光(環境省地球環境局長)、寺西俊一(一橋大学大学院教授)の4人によるパネルディスカッションに移り、内山さん、川嶋さん、小林さんがそれぞれの立場から意見を述べ、それに寺西さんがコメントする形で議論されました。

左から内山さん、川嶋さん、小林さん、寺西さんと司会の阿部さん

≪環境大臣が特別講演≫

そして、小池百合子環境大臣が自らのアイデアとされるクールビズやウォームビズの話や環境省が制作した「地球温暖化キャンペーン」をパワーポイントで説明しました。

環境省製の「地球温暖化キャンペーン」を淡々と説明する小池大臣

*立教大学異文化コミュニケーション研究科 リサーチワークショップ運営機構
TEL/FAX : 03−3985−4732 e−mail : irw@grp.rikkyo.ne.jp

 

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JEC 日本環境会議