■メール・インタビュー
現場での聞き取り調査後、研究者を代表して宮本憲一さんに、弁護団を代表して村松昭夫さんに、そして支援グループを代表して柚岡一禎さんに、メールによるインタビューを行った。
■宮本憲一・日本環境会議代表理事
「泉南」はアスベスト禍問題の本質にかかわる
強く望みたい若い研究者のより積極的な参画
― JECとしてすでに2月、3月の2回、泉南地区のアスベスト禍聞き取り調査を行われました。2度の調査を終えた時点で、総合的にどのような感想と、今後の取るべき対策についてお聞かせください。
宮本 泉南の問題はアスベスト問題の本質にかかわるものです。差別された貧困な労働者と住民が明治以来長期にわたって被害を受けたもので、実態をあきらかにして救済をかんがえることは、社会的災害研究の原論をつくることになると思います。しかしすでになくなった企業が多く、被害者も死亡、分散しているので、よほど腰をすえて研究しないと難しいと思いました。アスベスト問題は始まったばかりなので、日本環境会議としても研究体制を組み、クボタと2班くらいの編成を組む必要があります。理事会で議論しなければと思います。
― クボタなど大手企業がもたらしたアスベスト禍と中小・零細企業の集団地域であった泉南とは複雑さ、困難さが異なると思われますが、いかがでしょうか?
宮本 泉南地区は約60事業所、2000人ぐらいの労働者・親方などがいたと柚岡さん(市民の会代表)がいわれています。しかし企業形態、生産工程、労働の状況、集塵施設などの公害対策の実情などまだふじゅうぶんにしかわかっていません。クボタの場合も50−60年代の状況はつかめていません。幸い泉南地区についての労働衛生の調査が1937年から行われていますのでそれが発掘されれば、展望が開けると思います。ここはクボタと違って白石綿なので、中皮腫の被害が住民にまで出るかどうかはわからないのですが、石綿肺の被害はかなり広範に出る可能性があります。新法の対象に入っていないだけにそれが問題になるでしょう。零細な企業や家内工業なのでPPPで補償要求をするのはクボタのようにいかずどのように救済するかは、これからの課題です。
― 泉南の地域住民や支援者、公害弁連は4月にもアスベスト禍での初めての国家賠償訴訟を起こすと伝えられていますが、この動きについて先生はどのようにお考えでしょうか?
宮本 政府は行政の不作為はなかったといっているので、裁判で国家賠償を求めるためには、政府のこれまでの対応の失敗について歴史的に細かい論証がいりそうです。私は立法の不作為も国の責任として考えてよいのでないかと思います。これまでの公害裁判と同じで、困難を乗りこえていく弁護士の努力と科学者の支持が必要とおもいます。
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工場跡地で複雑な表情を見せる宮本さん
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― アスベスト禍はけだし「公害」と考えますが(環境省は真っ向否定していますが)、いかがでしょうか? そして、施行されたアスベスト新法などを踏まえて国や行政の措置は満足すべきものとお考えですか?
宮本 環境省は典型七大公害にはいらないので公害でないといっています。公害とすれば環境省の責任になるのでそれは今回は因果関係は不明として公害と呼ばないのでしょう。しかし奈良医大の車谷教授のクボタ周辺調査を見ると疫学的に公害とよべるとおもいます。政府としては公害であるとしても、それはクボタの特殊ケースとして他に被害者が出ない限り公害としないつもりでしょう。アスベスト新法は緊急避難的に作られたもので、これから被害者が要求をし、疫学調査をすれば大きく変わるとおもいます。もしクボタが労災並みに3200万円の見舞金を出せば、それだけで新法は予算を変えねばならぬでしょう。新法は水俣病の救済と連動しています。今後両者は相互に影響を受けるとおもいます。
― 最後に、アスベスト禍について他にコメントはありましたらお聞かせください。
宮本 この問題は今後国際比較、欧米だけでなく中国・インドさらにはアフリカなどの動向を調べ、また日本の明治以来の歴史を調べるなど、現地調査と並んで広い範囲の社会科学的研究が必要です。若い研究者がほとんど動いてないのは20年前と比べれば驚くべきセンスのなさで、研究の宝の山があり、それは貧困な被害者が待ち望んでいる研究なのですから、もっと現場に出てきて欲しいと思います。
■村松昭夫・大阪じん肺アスベスト禍弁護団副団長
明らかに「公害」、被害者救済を原点に取り組む
行政による疫学調査や被害実態調査は不可欠
― そもそも、泉南地域のアスベスト禍問題を弁護団として取り上げる、取り組むという発想の原点はどのへんにあったのでしょうか? また、アスベスト禍は明らかに「公害」と思いますが、この点についていかがお考えでしょうか?
村松 もともと大阪では、じん肺弁護団が10年ぐらい前に泉南地域のアスベスト問題の取り組みをはじめたという経過がありましたが、結局立ち消えになっていました。今回、昨年8月からじん肺弁護団が中心となって緊急シンポや電話相談を行うなかで、泉南地域のアスベスト問題に本腰を入れて取り組むことになりました。
弁護団が取り組む原点はいうまでもなく、被害者救済です。大企業の利益や国策の犠牲になった被害者が救済されるべきは当然であるからです。そのことを曖昧にしてのアスベスト問題の解決はないと考えています。
泉南の被害状況を見ると、やはり公害と言わざるを得ません。現に、工場周辺の住民らに被害が発生しています。
― 現地を拝見し、企業体としては中小・零細企業がほとんどでしたので、被害を受けたと思われる人々は離散され、完全掌握は難しいと思われますが、現状ではどのくらいの人たちの所在を把握されていますか?
村松 率直に言って、被害実態の把握は困難を極めています。弁護団と「市民の会」は、すでに4回にわたって相談会を行っていますが、その都度新たな被害者が相談に来られるものの、その数は限定されています。被害を全面的に明らかにするためには、やはり行政による調査が必要になると思いますが、行政は積極的な動きをしていません。早急に、疫学調査や被害実態調査が必要です。
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雨中、研究者らに地図を広げ現場を確認する村松さん(左)
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― 石綿救済新法に基く健康被害者の救済申請の受付が始まりました。泉南地域の動きを把握されていますか?
村松 泉南地域でも、3月20日の初日に新法での申請を行いましたが、新法が石綿肺を救済対象にしていないことから、新法で救済される被害者は限られています。
― 弁護士団は初めてのケースとして、国からの賠償を求めて訴訟に踏み切ると伝えられています。事実とすれば、今後、具体的なスケジュールが想定されるのでしょうか?
村松 泉南地域が典型的なのですが、アスベスト被害がこれほど広範かつ深刻に進行したことに対しては、大企業と共に国に大きな責任があります。本来であれば、国は謝罪と共に率先して被害実態を把握して全面的な救済に責任を持って取り組むべきです。ところが、新法が典型的ですが、国は法的な責任を回避し、それ故に救済対象も制限し救済内容も不十分です。その意味では、国の法的責任を司法の場で明らかにすることが不可欠であると考えています。弁護団は、現在4月提訴に向けて具体的な検討を進めていますが、もう少し時間がかかるかもしれません。
― 現地調査にももっとも若い、生きの良い弁護士さんたちが参加されていて、力強く思いました。その後も彼らのテンションは上がっていますか?
村松 弁護団の半数は昨年弁護士登録をした新人弁護士たちです。もちろん、相談、労災申請、新法での救済申請、現地や文献の調査活動などに意欲的に取り組んでいます。
■柚岡一禎・泉南地域の石綿被害と市民の会代表世話人
「クボタより泉南の方がひどい」という思いで立ち上がった
掌握人数はわずかに2300人、地道に掘り起こし進めたい
― 祖父が石綿事業をされていた柚岡さんがいま被害者を支援するお立場に立っています。「泉南地域の石綿被害と市民の会」のそもそもの立ち上げはどういうところからだったのですか?
柚岡 去年6月のクボタ報道を受けて、8月に有志3人が準備を始めました。石綿のことなら泉南はもっとひどいはず、というのが最初の我々の認識でした。弁護団は1982年からあったのですが、休眠状態のままだったと聞いています。
「市民の会」は特に会則などはありません。世話人8人が適時集まって、弁護団と共に被害実態の把握や対策に努めています。相談会に来た方200人ほどとは常時連絡が取れる体制です。
― 「石綿村」と言われた由来について簡単にご説明ください。
柚岡 石綿工場が集まっていた地域の俗称です。1940年代は泉南市牧野地区がそう呼ばれていましたが、事業転換で次第に減少しました。代わって、60〜70年代の最盛期、阪南市の一角(先日ツアーで回ったところ)が石綿村といわれました。7社ほどありました。一種の蔑称の気味もあるようです。
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現場で報道陣に説明する柚岡さん(右) |
― 地域一体には全盛期、どのくらいの人たちが従事していたと考えてよいのでしょうか?
柚岡 終戦後地価の安いこの地に7社ほど進出しました。経営者の入れ替わりは多かったのですが、労働者は100から150人と思われます。
― ということは、企業体としては中小・零細企業がほとんどでしたので、被害を受けたであろう人々は離散してしまい、完全掌握は難しいと思われますが、現状ではどのくらいの人たちの所在を把握されていますか?
柚岡 残念ですが300人程度しかつかんでいません。集会や相談会に来た方は全部で500人ぐらいで、予想被害者のごく一部です。大半は病気を抱えたまま家でひっそりと暮らしているか、入院中もしくは死亡したものと思われます。引き続き被害者の掘り起こしを地道に進めたいと思っています。
― 石綿救済新法に基く健康被害者の救済申請の受付が始まりました。泉南地域の動きはどのような感じでしょうか?
柚岡 市民会と弁護団で世話したのは5人です。自分で申請窓口に行ったのは20人程度と聞いています。
― 日本環境会議や弁護団のアプローチで以前に比べアスベスト禍への関心は深まりましたか? 現時点で、とくにアピールしたいことがありましたらどうぞ。
柚岡 これまで隠れていた泉南の石綿問題が、外部からの働きかけやマスコミ報道によって、明るみに出つつあります。住民の関心はかってなく高まっていると言ってよいでしょう。しかし、長い時間がたってしまったために、分らなくなったことが多いのも事実です。我々の活動を一段とスピードアップする必要があると痛感しています。
≪聞き取り調査に同行して≫
事態は深刻であり複雑 初の国賠訴訟に進む若き弁護士15人にエールを!
水俣病の場合などと違って、「現場」ではあったものの、被害者の苦しい表情や痛ましい状況を直接目にする「現場」ではなかったが、それだけに『静かな時限爆弾』(広瀬弘忠)という書名を思い出した。工場跡地に建てられた立派なマンション、その後案内された「石綿村」やその周辺地域の工場廃屋はしんとして聞こえるのは行き交う車の音だけ。確かに地中のどこかに時限爆弾は仕掛けられている―それが現場に立った実感だった。
そんな思いを強くした一つは、代表世話人の柚岡一禎さんの問題提起である。
「追跡調査をするにも工場がない。経営者も死亡、行方不明、代替りで事情を知る人はほとんどいない」
「たとえいても、事業主の立場から口を濁す場合が多い。操業記録も残ってない」
ましてや従業員に至ってはその深刻度をさらに増す。
「集団就職や炭鉱離職者が多かった。会社が閉鎖され、そのまま居残った人もいるが、失意のまま故郷に戻り、何十年もたってから発病することは容易に想像できる」
比較するのもおかしな話だが、その点、大手のクボタやニチアスなどは企業体がしっかりしているだけに、データや少なくても社員名簿などは揃っていると思われる。
もう一つ、午前中の聞き取り会議で、オブザーバーだがと断って発言した紡績会社を経営するという片木哲男さんのいくつかの話だ。
「本当の被害の実態は1〜5人程度の規模だった企業の従業員たちがどうであったかです」
「ほこりまみれになって、父や母が工場から家へ帰る。子供がぐずると“石綿工場へ行かすぞ!”と言ったのです。それだけ石綿産業・企業は貧しさの象徴だたったのです」
「当時の公官庁は(トップの)「栄屋」さんだけを検査して、調査したことにしていました。実態掌握にはほど遠かったのです」
聞いていて“勇気ある発言”だなと思わずにはいられなかった。
被害者と支援する「市民の会」はいま弁護団と「国家賠償に向けて準備に取り組んでいる」(柚岡一禎さん、4月4日現在)。個人的だが、「アスベスト禍は明確な公害」と確信しているが、環境省は予想されたこととはいえ、依然頑な。さらに、「これ以上(被害者)は増えない」などと、逆立ちしても理解できないことに言及している(宮本インタビュー参照)。
多分、被害者・支持者・弁護団の“国賠への道”は厳しいであろう。だが、救われる思いがすることがある。「大阪じん肺アスベスト弁護団」総員38人のうち、15人が58期生(もっとも新しい弁護士資格)だという。彼らの若さとパッションにエールを送りたい。
■その後の動き=1=
アスベスト給付金申請 11日間で1882人にのぼる
環境省と厚生労働省が06年3月31日現在でまとめた「アスベスト被害者救済法」に基づく給付金の申請者は、受付を開始した3月20日以来、環境省扱いが1100人、厚労省扱いが782人、合計1882人にのぼったことが分かりました。
それぞれの内訳は、環境省関係が中皮種916人、肺がん172人、不明12人。受付部署別では環境再生保全機構本部(川崎)624人、同大阪支部111人、地方環境事務所(11ヵ所)212人、兵庫県尼崎市保健所126人、大阪市泉佐野保健所27人となっています。
厚労省関係は、労災の時効である死後5年から認定されず今回申請したのは782人となっており、地域別では尼崎市のある兵庫県が113人と最多でした。
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