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2007 / 12月05日更新 宮本憲一さん(JEC名誉理事長)

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  いろいろあった07年も1ヶ月を切ってしまいましたが、ごく最近、シドニー大学で開催されたAPNEC8で基調講演の後、キャンベラのオーストラリア国立大学のセミナーで報告して帰国した宮本憲一さんは「加齢と社会の動きの加速で、1年がますます早く過ぎて行く気がしますね。今年も調査や会議などで海外へ数回、国内にいたっては京都と東京をいったい何往復したでしょうか……」と振り返る。「いろいろなことがありましたが、四日市はJECの若い人たちや関係者の献身的な努力で質の高い<まちづくり環境再生「政策提言」>がまとめられよかったと思います」と節目の年であったことも強調。永年にわたって蓄積した膨大な研究資料や書籍を金沢大学に寄贈し、このほど「宮本文庫」として開設されたのも今年のエポックでした。

そして、節目の年の“締め”は近々、岩波書店から18年ぶりに刊行される『環境経済学 新版』。この間の状況変化を織り交ぜ、全面改訂したとのこと。「新版」のご紹介は次回のお楽しみとして、宮本さんの目線はすでに「来年以降」に焦点が当てられています。「来年はJEC30周年の前の年です。しっかり準備して、充実した30周年を迎える年にしたいものですね」。どこまでも前向きな宮本さんです。

画像:『環境経済学 新版』の刊行を控え、半世紀の総括をする形になった
『東京新聞』のインタビュー記事=07年11月10日付

2007 / 8月07日更新 松本泰子さん(京都大学大学院地球環境学堂准教授)
米国環境局(USEPA)から「成層圏オゾン保護賞」が07年9月19日、モントリオールで授与されることになった。実は、この受賞、1990年から2007年の間の500(個人、組織、チーム)の受賞者からBest-of-Best Award 52として選ばれたものなので、松本さんにとっては2度目の賞となります。謙遜される松本さんに受賞の感想を寄せてもらいました。

オゾン層破壊物質に関するモントリオール議定書の採択20周年という記念すべき年に、賞をいただくことはとても嬉しいです。この賞は、日本ではまだオゾン層問題で活動するNGOがほとんどいなかった時代の私のグリーンピースとしての活動に対して授与された2000年の賞の再評価ですが、それにしても、1998年に大学の教員職に転職して以来、オゾン層保護のための活動といえば経済産業省の委員会で発言するくらいで、何もやってきませんでした。その意味では正直なところ嬉しい一方で居心地の悪さも感じています。また、グリーンピース時代は常に少ない人数の日本支部全体の密な協力体制があってはじめて様々な活動が可能でした。本来であれば、グリーンピース・ジャパンあるいはグリーンピースの国際オゾン層保護キャンペーンチームとして、受賞すべきものだと思います。
今年は京都議定書採択10周年であり、マスコミ・消費者・政治家など日本社会全般で地球温暖化問題に関する意識は非常に高まりつつあります。一方、今年がオゾン層破壊物質を規制するモントリオール議定書の採択20周年であることを知る人はあまりいません。また、オゾン層破壊問題にはまだまだ大きな課題がいくつか残っていることを知る人もあまりいません。この受賞を励みに、研究の中でオゾン層の問題の残る課題にももっと力を入れ、沢山の人にこの問題がまだ解決していないことを知っていただきたいと思っています。


写真:今回の受賞は個人で貰ったものではない……と謙遜する松本さん

2006/8月15日更新 村山武彦さん (早稲田大学理工学部教授)
1年間の海外留学から戻って5ヵ月。8月に入ってやっと一息ついたという村山武彦さんに、留学を振り返ってもらいました。以下のような懇切な答えをいただきました。

― 留学先は1ヵ所ではなかったようですが、どんな感じだったのでしょうか?

村山:期間は昨年の4月から今年の3月までの1年間でしたが、場所は、4月の1ヵ月間が、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)、5月から8月がカナダのブリティッシュコロンビア大学(UBC)、9月から今年の3月までアメリカのニュージャージー州立大学(Rutgers)に滞在しました。

― 留学の目的を改めて伺うと。

村山:外国で研究する機会を持つことは、ここ10数年来の念願でしたので、滞在先が増えましたが、研究のテーマも欲張ってしまいました。一つは、環境リスクに対する社会的管理のための意思決定やコミュニケーションの参与的観察、また、環境問題における予防原則の取り組み事例の調査、さらに外国におけるアスベスト問題の現状把握です。
9月以降の研究活動に対しては、日米教育委員会からフルブライト研究員としてサポートを受けました。その際のテーマは、「環境問題解決のための政策立案や計画策定のための社会的意思決定のあり方」です。

― ということは、アスベストの研究が直接の目的ではなかったんですね?

村山:当初、アスベストの話にはあまり重きを置くつもりはなかったのですが、ご承知のとおり、昨年の後半に日本で大きく取り上げられましたので、私も外国からこの問題に対応するという形をとることになりました。

― この間、クボタ初めアスベスト企業が相次いで“自首”しました。一連の動きに専門家としてどのように思われましたか? また、米国企業のこの種の対応とは大きな違いがあるようですが。

村山:労働災害に関しては、既に国に届けていた内容を企業別に公表したにすぎません。ただ、工場周辺における中皮腫の患者さんの公表やその後の「救済」措置については、この病気の生存期間が極めて短いことを考えると、被害にあわれた方々にとっては、裁判で結論が出るのを長い間待つよりも、よい面があったと思います。

しかし、こうした動きは、患者や家族の皆さん、さらには地元の支援グループの方々の献身的で粘り強い活動があったからこそ生まれたのであって、決して企業が自主的に始めたわけではないことを改めて確認する必要があると思います。

さらに、企業の責任や被害の全容解明などの問題については、課題が山積みだと思います。中皮腫に関しては、アメリカにおける訴訟での賠償の相場は200万ドル(1ドル115円として、2億3000万円)といわれていますし、日本よりも先に国レベルの救済制度を始めたフランスにおける救済額は、日本の企業が提供する額よりも高いと考えられます。

アメリカに滞在中、アスベスト関連の裁判を傍聴する機会がありました。原告は中皮腫に罹患した元労働者で、被告は某有名企業でした。アメリカ人の知り合いから、裁判の争点として、アスベスト特有の疾患であるかどうか、その疾患の原因が相手の企業にあるかどうか、さらに、その企業が以前からアスベストの危険性について認識していたかどうか、といった3点があると聞かされました。
写真:一時帰国して「アスベスト緊急シンポジウム」で講演をした村山さん
=05年8月28日、東京・麹町の東京グリーンパレスで


私が傍聴したときは、企業の危険認知に関する点に焦点が当てられていました。原告側の証人である専門家は、被告の企業が以前からアスベストの危険性を認識していたことを証言する一方、企業側は段ボール20箱近くを法廷に持ち込み、証言内容および証人本人をあらゆる角度から攻撃していました。こうしたやりとりを陪審員の人たちが真剣に聞いている姿は、とても新鮮でした。

アメリカでは良くも悪くも訴訟が一般的で、アスベスト問題もある意味で一つのビジネスになっているところがあるようですが、訴訟を通じて、企業の責任が明らかにされるプロセスは、日本にない状況だと感じています。

また、アスベストによる被害は、決して中皮腫だけではありません。肺がんや胸膜肥厚班など他の健康影響も含めて、今後さらに検討する必要があります。ある意味で、原因との関係がわかりやすいところだけを取り上げて、自発的に申告し、対策が進んでいるかのような印象があるのですが、それで全てがカバーされているというわけではないことを再認識する必要があるように思っています。

― 帰国後は「大学の仕事をどっさりやらされています」と言われていましたが、その辺の近況を。

村山:これまで学内の仕事を控えてきたつもりはないのですが(笑い)、やはり一定の期間、研究に専念させてもらいましたので、ある意味で他の仕事は抑え気味にして、学内業務に力点をおいてきました。8月に入ってやっと一息という感じです。外国から持ち帰った資料をほとんど整理していないので、そろそろ始めようかと思っています。

大学で研究に専念する期間を、外国ではサバティカルと呼ばれていて、大学の教員にとっては当然の権利として認められていると思っていました。しかし、ここ数年来付き合っているカナダ人の教授によれば、外国でもサバティカルを取った後は、いろいろと仕事が回ってくるそうです。この点については、日本も他の国もあまり変わらないのかもしれません。
2006/5月31日更新 村松昭夫さん(大阪じん肺アスベスト弁護団副団長)
06年5月26日、大阪・泉南地域でアスベストにさらされ、石綿肺や肺がんなどを発症した元工場従業員や周辺住民ら8人が国の責任の明確化と賠償を求め、大阪地裁に提訴したが、弁護団副団長として、かねて準備を進めてきた村松さんから「国による長期に亘る怠慢は明白。初めてのケースだが、先陣を切る訴訟として全力で闘っていきたい」との決意表明が寄せられました。
なお、7月25日発行予定の『環境と公害』(36巻1号)に村松さんの「泉南石綿国賠訴訟」の論文が掲載されます。
写真:提訴後、原告とともに記者会見した村松さん(左端)
=06年5月26日、大阪地裁記者クラブで
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