<日本環境環境会議(JEC)発足以前> |
1963年7月 |
公害研究委員会(委員長:都留重人、委員:小森武、柴田徳衛、庄司光、野口雄一郎、宮本憲一、幹事:今正一、渡辺精一)が、
当時の厚生省の委託を受け、学際的な公害研究グループとして発足(7月9日:第1回会議、於・財団法人統計研究会第一会議)。 |
1964年6月 |
公害研究委員会による「四日市公害現地調査」実施。 |
1968年3月 |
都留重人編『現代資本主義と公害』(岩波書店)刊行。 |
1970年3月 |
国際社会科学評議会主催「環境破壊に関する東京シンポジウム」(於・東京)開催(「環境権」の確立を提唱)。 |
1971年7月 |
編集同人季刊雑誌『公害研究』(第1巻1号)(編集代表:都留重人・戒能通孝・庄司光)を岩波書店から創刊。 |
1975年〜76年 |
公害研究委員会による「世界公害調査」実施(都留重人編『世界の公害地図』(上・下)(岩波新書)刊行)。 |
<日本環境環境会議(JEC)発足以降> |
1979年6月 |
第1回日本環境会議(1979年6月9〜10日、於・東京)開催。
「日本環境宣言」
(*『公害研究』第9巻1号、1979年7月、収録) |
1980年5月 |
第2回日本環境会議(1980年5月4日〜5日、於・大阪)開催。
「日本都市環境宣言」
「公害健康被害補償法についての決議」
「環境アセスメントに関する決議」
(*『公害研究』第10巻1号、1980年7月、収録) |
1981年11月 |
第3回日本環境会議(1981年11月14日〜15日、於・名古屋)開催。
「日本自然環境保護宣言」
「公害被害者の完全救済を求める決議」
「公害差止裁判に関する決議」
(*『公害研究』第11巻3号、1982年1月、収録) |
1983年4月 |
第4回日本環境会議(1983年4月29日〜30日、於・水俣)開催。
「水俣宣言(水俣病問題に関する提言)」
「公害健康被害補償法廃止を目ざす動きに反対し被害者の完全救済を求める緊急決議」
「九州における住民参加と民主主義に基づいた地域開発を」
(*『公害研究』第13巻1号、1983年7月、収録) |
1984年12月 |
第5回日本環境会議(1984年12月1日〜2日、於・東京)開催。
「東京湾宣言」
「公害健康被害補償制度の改革に関する提言」
(*『公害研究』第14巻3号、1985年1月、収録) |
1986年10月 |
第6回日本環境会議(1986年10月31日〜11月1日、於・川崎)開催。
「大気汚染被害の救済強化を求める提言」
「市民のための東京宣言」
「水俣病被害者の即時無条件全面救済に関する決議」
(*『公害研究』第16巻3号、1987年1月、収録) |
1987年11月 |
第7回日本環境会議(1987年11月1日〜11月2日、於・八戸)開催。
「八戸アピール−第7回日本環境会議決議−」
(*『公害研究』第17巻3号、1988年1月、収録) |
1988年3月 |
第8回日本環境会議(1988年3月20日〜21日、於・沖縄)開催。
「日本環境会議沖縄宣言」
「沖縄の地域開発に関するアピール」
「沖縄基地と環境保全に関するアピール」
(*『公害研究』第18巻1号、1988年7月、収録) |
1988年11月 |
日本環境会議主催:「水俣病国際フォーラム」(1998年11月7日〜8日、於・熊本)開催。
(*『公害研究』第18巻3号、1989年1月、収録) |
1989年9月 |
第9回日本環境会議(1989年9月9日〜9月10日、於・東京)開催。
「国際化時代の環境政策に関する宣言」
「水俣病問題に関する決議」
「大気汚染健康被害の救済に関する決議」
(*『公害研究』第19巻3号、1990年1月、収録) |
1990年7月 |
「日欧環境専門家交流ワークショップ」(於・ベルギー)開催。
(*『公害研究』第20巻3号、1991年1月、収録) |
1991年1月 |
第10回日本環境会議(1991年1月14日〜15日、於・大阪)開催。
「当面する環境政策に関する提言」
「水俣病被害者の早期救済と問題の全面解決を求める決議」
「大気汚染公害の根絶と被害者救済に関する決議」
(*『公害研究』第20巻4号、1991年4月、収録) |
1991年3月 |
日本環境会議関係者が世話人代表者となり、
「'92国連ブラジル会議」に向けての「NGO市民連絡会議」(ブラジル市民連)(代表:岩崎駿介)を発足。後に「市民フォーラム2001」に発展。
(*『公害研究』第21巻2号、1991年11月、収録) |
1991年11月 |
第11回日本環境会議(1991年11月3日、於・東京)開催。
新組織体制発足総会(JEC規約、理事会・事務局体制、会員制への移行などを決定)
新体制発足記念シンポジウム(「環境政策20年の歴史的総括と展望」)開催。
(*『環境と公害』第21巻3号、1992年1月、収録) |
1991年12月 |
「第1回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC1)(1991年12月7日〜8日、於・バンコク)開催。
(*『公害研究』第21巻4号、1992年4月、掲載) |
1992年6月 |
「環境と開発に関する国連会議」(リオ・サミット)開催。JECおよび「ブラジル市民連」からも代表を派遣。 |
1992年7月 |
第12回日本環境会議四日市大会(1992年7月24日〜25日、於・四日市)開催。
四日市公害判決20周年/ポスト・リオ会議を受けて、シンポジウム「環境と開発/日本とアジアの現実から」、パネル・ディスカッション「改めて“環境と開発”の諸原則を問う」ほか開催。
「日本環境会議四日市宣言」
「長良川河口堰の公正で客観的なアセスメントの実施と事業の総合的・抜本的な見直しを要求する特別決議」
(*『環境と公害』第22巻2号、1992年11月、収録) |
1992年10月 |
日本環境会議主催:「国際河川環境会議」(於・三重県長島町)開催。
(*「論壇:問われる環境破壊型河川開発」『朝日新聞』1992年11月12日付、参照) |
1992年10月 |
日本環境会議主催:「環境基本法を考える専門家シンポジウム」(於・東京)開催。 |
1993年1月 |
日本環境会議主催:「環境基本法を考える専門家シンポジウム」(於・大阪)開催。
(*『環境と公害』第22巻3号、1993年1月、収録) |
1993年3月 |
「第2回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC2)(1993年3月27日〜28日 於・ソウル)開催。
(*『環境と公害』第23巻1号、1993年7月、収録) |
1993年7月 |
第13回日本環境会議京都大会(1993年7月24日、於・京都)開催。
「第3回アジア太平洋NGO環境会議」プレ企画として、シンポジウム「バンコク、ソウル、そして京都へ/アジアの環境保全と日本の課題」を開催。
(*『環境と公害』第23巻2号、1993年10月、収録) |
1994年11月 |
第14回日本環境会議京都大会(1994年11月18日〜19日、於・京都)開催。
「第3回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC3)として開催。
「アジア・太平洋地域における環境NGOの組織的協力と成果の共有をめざす京都宣言−第3回アジア・太平洋NGO環境会議宣言−」
(*『環境と公害』第24巻3号、1995年1月、収録) |
1995年1月 |
日本環境会議事務局のもとに「アジア環境白書」研究会(代表:秋山紀子、後に淡路剛久、事務局長:寺西俊一)をスタート。後に『アジア環境白書』編集委員会(代表:寺西俊一、事務局長:井上真)に発展。 |
1995年7月 |
「『環境と公害』発刊25周年記念公開講演会」(於・東京)開催。
(*『環境と公害』第25巻3号、1996年1月、収録) |
1996年3月 |
第15回日本環境会議熊本大会(1996年3月29日〜30日、於・熊本)開催。「
美しい自然を未来に」をテーマに全体シンポジウムと4つの分科会((1)「清流を未来に」、(2)「産業廃棄物のゆくえ」、(3)「アジアの環境問題」、(4)「自由広場」)を開催。
「地球環境時代にあって地域の視点から環境の保全と公害被害 者の完全救済を訴える宣言(熊本宣言)」
「公式発見以来40年を迎えた水俣病に残された課題の解決を求める声明」
(*『環境と公害』第26巻1号、1996年7月、収録) |
1996年11月 |
第16回日本環境会議沖縄大会(1996年11月23日〜24日、於・沖縄)開催。
「環境と平和−アジアの風水と沖縄の軍事基地を考える−」をテーマに6つの分科会
((1)「亜熱帯の自然」、(2)「島々の水環境」、(3)「持続的発展」、(4)「基地と環境問題(1)(2)」、(5)「アジア地域の環境」、
(6)「青年と環境(1)(2)」)と全体シンポジウム(「環境と平和」、スペシャルトーク(「若者に伝えたい生命のこと」)を開催。
「第16回日本環境会議沖縄大会宣言」
「第16回日本環境会議沖縄大会緊急アピール」
「第16回日本環境会議沖縄大会第6分科会決意表明」
(*『環境と公害』第26巻4号、1997年4月、収録) |
1997年10月 |
公害都市川崎の「環境再生」をめざす「かわさき環境プロジェクト21」(KEP21)(代表:永井進、事務局:寺西俊一)を発足し、政策調査研究活動をスタート(2000年3月まで)。 |
1997年11月 |
第17回日本環境会議神戸大会(1997年11月28日〜29日、於・神戸)開催。
「足元から問う地球環境保全」をテーマに、「『アジア環境白書』創刊記念シンポジウム」および「シンポジウム:震災復興と環境」を開催。
「第17回日本環境会議神戸大会宣言」
(*『環境と公害』第27巻4号、1998年4月、収録) |
1997年12月 |
『アジア環境白書1997/1998』(東洋経済新報社)創刊。 |
1998年11月 |
「第4回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC4)(1998年11月26日〜27日 於・シンガポール)開催。
(*『環境と公害』第28巻4号、1999年4月、収録) |
1999年3月 |
第18回日本環境会議名古屋大会(1999年3月27日〜28日、於・名古屋)開催。
「自然・人権・開発−意思決定を市民の手に−」をテーマに、全体シンポジウムと、(1)「公共事業の転換を求めて」、(2)「公害問題の新たな展開」、(3)「環境アセスメントを市民の手に」、(4)「環境正義と人権・自然」の分科会を開催
「第18回日本環境会議名古屋大会宣言」
「道路公害対策と被害者救済を求める特別決議」
「名古屋あおぞら裁判の早期解決を求める決議」
「長良川河口堰の運用中止を求める決議」
「徳山ダムの建設事業の中止を求める決議」
(*『環境と公害』第29巻1号、1999年7月、収録) |
1999年8月 |
「日韓環境専門家交流ワークショップ」(於・ソウル)開催。
(*『環境と公害』第29巻3号、2000年1月、収録) |
1999年11月 |
The State of the Environment in Asia 1999/2000, Springer-Verlag,刊行。 |
2000年3月 |
第19回日本環境会議東京&川崎大会(2000年3月31日〜4月1日、於・東京&川崎)開催。
「環境破壊から環境再生の世紀をめざして」を全体テーマに、日本環境会議発足20周年記念シンポジウム(於・東京)、
(1)「人権・福祉・環境のまちづくり−破壊から再生の世紀へ−」、(2)「ダムと公共事業−建設から廃止の世紀へ−」の分科会(於・川崎)を開催。
「日本環境会議20周年宣言−環境破壊から環境再生の世紀をめざして−」
(*『環境と公害』第30巻1号、2000年7月、収録) |
2000年5月 |
『アジア環境白書1997/1998』韓国語版(タニム社)刊行。 |
2000年9月 |
「第5回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC5)(2000年9月22日〜24日 於・アーグラ)開催。
(*『環境と公害』第30巻3号、2001年1月、収録) |
2000年10月 |
「『環境と公害』発刊30周年記念公開講演会」(於・東京)開催。
(*『環境と公害』第30巻3号、2001年1月、収録) |
2000年11月 |
『アジア環境白書2000/2001』(東洋経済新報社)刊行。 |
2001年2月 |
日本環境会議事務局のもとに「環境再生政策研究会」(代表:宮本憲一、副代表:淡路剛久・永井進、事務局長:寺西俊一)を発足し、政策調査研究活動をスタート(2005年3月まで)。 |
2001年9月 |
「第1回環境被害救済(環境紛争処理)に関する日中国際ワークショップ」(2001年9月15日〜18日 於・北京)開催。
(*『環境と公害』第31巻3号、2002年1月、収録) |
2002年3月 |
第20回日本環境会議/アジア国際環境会議松江大会(2002年3月26日(土)〜28日(月))開催。
全体テーマ:「21世紀の環境再生のために」のもとに、全体シンポジウム:「アジア国際会議、【第1分科会】「自然環境と文化環境を活かすまちづくり(1)−地方都市と農村の環境再生−」、【第2分科会】「水環境の再生政策を探る−干拓事業とダム問題−」、【第3分科会】「自然環境と文化環境を活かすまちづくり(2)−工業地域と都市の環境再生−」、【第4分科会】「エネルギー政策の転換を探る−原発から自然エネルギーへの転換−」などを開催。
「第20回日本環境会議松江宣言」
(*『環境と公害』第32巻1号、2002年7月、収録) |
2002年9月 |
永井進・寺西俊一・除本理史編著『環境再生−川崎から公害地域の再生を考える』(有斐閣)刊行。 |
2002年10月 |
The State of the Environment in Asia 2003/2004, Springer-Verlag,刊行。 |
2002年11月 |
第21回日本環境会議高雄大会(2002年11月1日〜4日、於・台湾・高雄)
「第6回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC6)(高雄)として開催
「APNEC6高雄宣言」
(*『環境と公害』第32巻3号、2003年1月、収録) |
2003年9月 |
第22回日本環境会議滋賀大会(2003年9月13日〜15日、彦根)開催。
全体テーマ: 「環境再生と維持可能な社会−サステイナブル・ソサイエティをめざして−」のもとに、「21世紀環境再生国際シンポジウム」、第1分科会:「まだ止まぬ地域環境の破壊−廃棄物、土壌・地下水汚染−」、第2分科会:「自然との共生そして再生」、第3分科会:「公害被害の実態と救済−日中韓における事例交流を中心に−」、第4分科会:「地域再生とエネルギー」(特別分科会)を開催。
「第22回日本環境会議彦根宣言」
(*『環境と公害』第33巻3号、2004年1月、収録) |
2003年10月 |
『アジア環境白書2003/2004』(東洋経済新報社)刊行。 |
2004年3月 |
「第2回環境被害救済(環境紛争処理)に関する日中国際ワークショップ」(2004年3月20日〜21日、於・熊本)開催。
(*『環境と公害』第34巻1号、2004年7月、収録) |
2004年7月 |
日本環境会議事務局のもとに「四日市環境再生まちづくプラン検討委員会」(代表:宮本憲一、事務局長:寺西俊一)を発足し、政策調査研究活動をスタート(2007年7月まで)。 |
2005年3月 |
日本生命財団助成研究公開ワークショップ(「『持続可能な社会』実現への提言−環境再生、地域再生の視点から−」)(於・東京)開催。 |
2005年3月 |
The State of the Environment in Asia 2005/2006, Springer-Verlag,刊行。 |
2005年3月 |
第23回日本環境会議松山大会(2005年3月26日〜28日)開催。
全体テーマ:「地域から環境を変える」
「第23回日本環境会議松山宣言」
(*『環境と公害』第35巻1号、2005年7月、収録) |
2005年4月 |
日本環境会議、朝日新聞社主催の「第6回明日への環境賞」を受賞。 |
2005年5月 |
『アジア環境白書1997/1998』中国語版(中国環境科学出版社)刊行。 |
2005年11月 |
「第7回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC7)(2005年11月4日〜6日、於・カトマンズ)開催。
(*『環境と公害』第35巻4号、2006年4月、収録) |
2005年11月 |
「第3回環境被害救済&環境紛争処理に関する日中国際ワークショップ」(2005年11月26日〜27日、於・上海)開催。
(*『環境と公害』第35巻4号、2006年4月、収録) |
2006年9月 |
第24回日本環境会議熊本大会(2006年9月8日〜12日、於・熊本&水俣)開催。
「水俣50年・環境被害に関する国際フォーラム」として、熊本学園大学と共催。
「2006水俣宣言」
(*『環境と公害』第36巻3号、2007年1月、収録) |
2006年9月 |
The 11th International Conference EURO-ECO 2006(Interdisciplinary Co-operation for the Sustainable Development of Historical Cities and Protected Areas Perspectives of Sound Tourism),September 18-19,2006,in Krakow, Poland,に日本環境会議関係者20数名が参加・報告・交流。 |
2006年11月 |
『アジア環境白書2006/2007』(東洋経済新報社)刊行。 |
2006年11月〜2007年3月 |
日本環境会議主催:水俣病50年記念シリーズ講演会(於・一橋大、明治学院大、早稲田、立教大、東工大、東京経済大)開催。 |
2007年6月 |
日本環境会議ほか共催:「宇井純に学ぶ、宇井純を語る集い」(於・東京大学安田講堂)開催。
(*『環境と公害』第37巻2号、2007年10月、収録) |
2007年7月 |
第25回日本環境会議四日市大会(2007年7月21日、於・四日市)開催。
「四日市公害判決35周年記念:環境再生まちづくり提言の集い」として開催。
「四日市環境再生まちづくプラン検討委員会」の政策提言報告書『都市アメニティの再生を』を発表。
(*『環境と公害』第37巻2号、2007年10月、収録) |
2007年8月 |
「第4回環境被害救済(環境紛争処理)に関する日中韓国際ワークショップ」(2007年8月24日〜25日、於・東京)開催。
(*『環境と公害』第37巻3号、2008年1月、収録) |
2007年11月 |
日本環境会議事務局のもとに「大気汚染被害者救済制度検討会」(座長:淡路剛久、副座長:礒野弥生、事務局長:寺西俊一、提言作成ワーキンググループ座長:吉村良一、同事務局:除本理史)を発足、政策調査研究活動をスタート(2009年11月)。 |
2007年11月 |
「第8回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNEC8)(2007年11月22日〜25日、於・シドニー)開催。
(*『環境と公害』第37巻4号、2008年4月、収録) |
2008年3月 |
日本環境会議主催:「大気汚染被害救済に関する国際シンポジウム」(於・東京) |
2008年4月 |
宮本憲一監修・遠藤宏一・岡田知弘・除本理史編著『環境再生まちづくり:四日市から考える政策提言』(ミネルヴァ書房)刊行。 |
2008年5月 |
日本環境会議が2000年より交流・支援を続けてきた「中国政法大学公害被害者法律援助センター」(所長:王燦発教授)が日本経済新聞社主催の「日経アジア賞」を受賞(2008年5月21日)。 |
2008年9月 |
第26回日本環境会議水島大会(2008年9月20日〜22日、於・倉敷)開催。
「日本環境会議水島宣言」
(*『環境と公害』第38巻3号、2009年1月、収録) |
2009年3月 |
日本環境会議ほか共催「大気汚染被害救済に関するシンポジウム」(於・東京)開催。 |
2009年11月 |
The State of the Environment in Asia 2006/2007,United Nation University Press,刊行。 |
2009年11月 |
「第9回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNE9)(2009年11月19日〜21日、於・京都)開催。
第27回日本環境会議発足30周年記念尼崎大会(2009年11月22日〜23日、於・尼崎)開催。
「持続可能なアジアをめざすAPNEC9京都宣言」(Achieving a Sustainable Asia:APNEC 9 Kyoto Declaration)
「地球温暖化防止京都アピール」
「日本環境会議30周年記念尼崎大会宣言」
(*『環境と公害』第39巻4号、2010年4月、収録) |
2010年12月 |
『アジア環境白書2010/2011』(東洋経済新報社)刊行。 |
2011年3月 |
日本環境会議メーッセージ:「東北関東大震災の被災者の皆様方へ」「震災アスベスト緊急対策について」発信(2011年3月21日)。 |
2011年5月 |
日本環境会議事務局のもとに「東日本多重災害復興再生政策検討委員会」発足(2011年5月20日)。 |
2011年7月 |
第28回日本環境会議東京大会(2011年7月2日〜3日、於・東京経済大学)開催。
「環境政策・地域づくりの新たな地平をひらく−首都東京からの発信−」という全体テーマのもとに6つのテーマ別分科会、第2日目の午後に「地域再生−次の10年を考える−」と題した記念シンポジウムを開催。
「第28回日本環境会議 東京宣言」
(*『環境と公害』第41巻2号、2011年10月、収録) |
2011年11月 |
「第10回アジア・太平洋NGO環境会議」(APNE10)(2011年11月20日〜21日、於・台北)開催。
「APNEC10 台北宣言」(APNEC 10 Taipei Declaration)
(*『環境と公害』第41巻4号、2012年4月、収録) |
2013年2月 |
日本生命財団助成研究公開ワークショップ(「農業・農村の危機と再生への提言―地域連携のための政策論―」)(2013年2月2日、於・一橋大学)開催。 |
2012年3月 |
第29回日本環境会議島根大会(2012年3月17日〜18日、於・島根大学)開催。
2011年3月11日に発生したフクシマ原発事故を受け、“「原発災害」のない社会をどうつくるか”をテーマに全体シンポジウムと分科会 を開催。開催地の松江市は市内に原発のある唯一の県都。ドイツ原子力倫理委員会委員を務めたミランダ・シュラーズ教授を招待。ま た、TPP参加問題も取り上げ、日本の農林水産業のあり方をめぐる分科会も開催。
「第29 回日本環境会議 島根大会宣言」
<特別決議>「沖縄防衛局は知事意見に真摯に答える環境影響評価の実施を」
(*『環境と公害』第42巻1号、2012年7月、収録) |
2013年6月 |
日本環境会議企画協力・日本弁護士連合会 人権擁護大会プレシンポ:「福島原発事故被害の補償・救済はこれでよいか?」(2013年6月8日、於・弁護士会館)開催。 |
2013年8月〜9月 |
「第30回日本環境会議宮城大会」(2013年8月31日〜9月1日、於・南三陸町)開催。 |