▼第3回四日市環境再生まちづくりシンポで中間報告▼
豊福祐二さん 「四日市の中心市街地と商業再生」
桑原武志さん 「地域計画・行財政部会の中間報告」
除本理史さん 「公害病患者の現状と政策的課題」
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「四日市の環境再生」を考え、プラン作りの段階での3回目のシンポジウムが06年7月22日、四日市市の総合会館で開かれました。今回は、これまでの2年間、検討委員会の中の各研究部会が調査・研究してきた成果の中間発表という形で行なわれました。約120人の参加者が報告に耳を傾け、フロアから質問やコメントが相次いで出されました。 |
【文責:司 加人】 |
冒頭、市職員労働組合連合会書記長の中浜隆司さんが04年7月〜06年5月までの検討経過について説明した後、検討委員会政策調査研究会事務局長の遠藤宏一さん(南山大学教授)の総合司会で進められました。
遠藤さんから「04年7月に宮本憲一先生に基調講演をしていただいたのがこの四日市環境再生のスタートで、以後、環境再生としてはきょうが3回目。この間、多少の差はあるものの、4つの部会に分かれてヒアリング調査を初め検討が行なわれています。きょうは、地域経済部会を代表して、町づくりの中で四日市の商店街の活性化というテーマも重要と考え、地元で調査・研究を進めている三重大学の豊福さんに、地域計画・行財政部会の中間的検討結果を桑原さんに、そして生活・コミュニティ、住民参加部会の公害病患者の現状について除本さんに、それぞれ個別報告をお願いすることになりました」と、今回のシンポジウムの趣旨が説明され、概要次のような個別報告が行なわれました。
写真:総合司会でこの日の趣旨説明をする遠藤宏一さん
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◆「四日市の中心市街地と商業再生」………豊福祐二さん(三重大学人文学部助教授) |
行政も市民も様々な試みを行なっているがカギは空き店舗対策に
率直なところ、現段階では踏み込んだ議論には至っていません。きょうは「中間報告」として四日市の商業環境、とくに小売店の現状について報告したいと思います。
四日市の中心市街地はご他聞にもれず、90年代に入って大きく変化しました。四日市の商業地がどのように変化してきたかというところから入りたいと思います。
写真:四日市の商店街は依然大きな変化しつつあると報告する豊福祐二さん
- 四日市の商業地は歴史的に見ても、中心地が変化してきている。【図1】のように、戦前の中心的な商店街は、@の東海道や札の辻に面したところにあり、同じく飲食娯楽地区はAのあたりであった。
- 戦後になって、Bのあたりに中心が移り、さらに近鉄線のショートカットなどで、現在の中心地はCのあたりになっているという変遷をたどっており、近年の四日市の中心商業地は【図2】のようになってきている。
【図1】 |
【図2】 |
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四日市の中心商業地の変遷 |
近年の中心商業地 |
- そして、平成になってからはいわゆる大店法の廃止、大店立地法の施行(2000年)によって、大型店の規制が行なわれたことから、四日市の中心商業地域も変化を余儀なくされた。現実の動きとしては、2001年に松坂屋が閉店、翌02年にはジャスコ四日市店、アムスクエアが相次いで閉店するなどの動きがあった。一方、スーパーの郊外大型店化の傾向は全国的に顕在化し、四日市の場合も例外ではなかった。
- 最近の動きとしては04年にアムスクエアの跡地にテラスクエアが開店し、さらにジャスコの跡地再開発計画としてマンションとホテルが建設されると伝えられている。地理的には西の方向に動いている。
- 大型店が増えたことで、具体的にはどういう数字になっているかという点を見ると、1992年と2001年の市民の利用店舗の変化は、【図3】のように中小の小売店が激減し、中型店は少し増え、大型店が大きく増えているという現象が明確に出ている。店舗面積などでもこの傾向は顕著になってきている。
【図3】 |
【図4】 |
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市民の利用店舗の変化 |
四日市市の商圏推移 |
- 大型店の誕生は四日市市外からも集客する傾向がはっきりしているが、この四日市の商圏の推移を三重県の調査で見ると、【図4】のように四日市の買い物人口1986年を100とすると、98年の103.3がピークで、2001年には102.2となっている。必ずしも四日市市内の買い物人口は増えていない。
- 次に、改めて中心商店街の動向を見ると、【図5】の通りで、近鉄四日市駅周辺も、諏訪新道の小売店とも年間商品販売額は減っているが、小売店の売り場面積は諏訪新道で2002年に微増に転じている。
【図5】 |
【図6】 |
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中心商店街の動向 |
マンション建設の方向 |
- こういう状況を踏まえて、四日市市は2001年8月に「中心市街地活性化基本計画」を提出している。その目標像は「もてなしの心(ホスピタリティ)のある中心街」で、基本方針としては「来街者を増やす」ことと、「居住者を増やす」であった。その結果どうなったかというと、たとえば近鉄四日市駅の北口中心の調査では減っており、アムスクエアの閉店にともない休日が平日を下回るという逆転現象が出ており、歩行者の訪れが全体として上向くということはないことが分かる。
- 一方、人口の変動を見ると、ここ3年の統計では中心部の人口が増えている。これはマンションが増えてきたことによるところが大きい。【図6】でマンション建設の推移が分かる。1996年をピークに98、99年と減ったが、2001、02年と増加に転じている。
- 以上のような結果、市としては活性化基本計画についてはほぼ達成したとしながらも、一方で歩行者の流れは大きく変わっていないし、活性化につながっていないことを認めている。
- 中心商店街の空き店舗が目立っている問題で、これをどうしていくかが課題であるものの、空き店舗の中身を見ると、2階に生活拠点があり、1階に他人が入るのは困るとか、建物自体が老朽化したり、あるいは家主が所在不明になっていたり、様々な要因があり、結局、貸せるのは少ないというのが実情。
- 商店会では「空き店舗対策協議会」を作って、99年から対策を講じているが、やはり限界があり、2年で活動は休止している。
- 市民との交流、子供との交流などのイベントも実行されているが、それが即市街地の再生化につながっていない。
以上が中間的報告ですが、現時点でのまとめとしては、空き店舗の再活性化というテーマを通じて、どう成果をあげるかということにかかっているということになりましょう。
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◆「地域計画・行政財政部会の中間報告」………桑原武志さん(大阪経済大学講師) |
コンビナート企業を増税し、それを環境再生に振り向けられないか?
結論から申し上げますと、私たちの議論は固まっていません。きょうは、これまで部会で検討した結果を中間報告という形で以下のようなご報告をさせていただきます。
写真:地域計画・行財政部会の中間報告をする桑原武志さん
- 部会に与えられた課題は、「総合課題」としては、大きく分けると、@四日市コンビナート開発の社会的損失の全体像の解明 A地域経済の発展指標の開発と、そのための過去と現在の四日市の市民的資産(福祉の元本)のリストアップとなる。
- また、地域計画財政部会の課題としては、@四日市・北伊勢地区の交通体系・交通問題 A「公害疎開」と都市構造の歪みの実態、土地利用計画・都市計画の沿革と課題、工業化・都市構造変化とアメニティの衰退の解明、再生への課題と提言 B環境再生事業と防災対策への提言 C環境再生・まちづくりの行財政問題・改革課題が項目として取り上げられている。
- 部会は今年3月、6月、7月の3回開催されている。これまで議論された概要を各人別に紹介すると、以下の通り。
1)財政について
<森 祐之(立命館大学助教授)>
- コンビナートによって公害疎開が起こり、公害疎開によって(郊外の)下水道と道路という社会資本の整備・維持管理がコスト高になっている。
- 石油化学関連18社で見る限り、四日市市の税収におけるコンビナート依存度は小さくなってきている。
- コンビナート主要の40社で見ると、法人市民税、固定資産税ともに四日市市の税収に占める割合は大きい。
* コンビナート関連企業に対する課税の上乗せを考えられないか。それを環境再生に振り向けることはできないか。これまでのところ、固定資産税または住民税の超過税率と基金の組み合わせが現実的に妥当と考えられるが、課税根拠をより明確化する必要がある。
<若井隆司(南山大学総合政策学部助教授)、石川良文(南山大学総合政策学部助教授)>
- 地方環境税の導入と環境基金構想(地方環境対策の財源)
- 化学製品
- 石油石炭製品という産業部門に環境税をかけた場合の税収概算
CO2課税 NOx課税 Sox課税
化学製品 9億 500万(仏水準) 2300万(伊) 600万(仏) 1200万(伊)
石油等 8億 480万 2200万 450万 970万
2)行政について
<進藤 兵(名古屋大学助教授)>
- 四日市における「ポスト公害判決」の政治行政史。
- 露骨な企業利益優先というよりはコンビナート共存・調整型。
- コミュニティ行政を割りと愚直にやってきたように見受けられるが、それは公害で分裂したコミュニティを再生統合するためのものではなかったか。
- 最近、四日市市では福祉・介護系のNPOの活動が活発になってきているようであるが、公害反対・環境NPOは少ない。
- このような中、NPOを横につなげようとする試み、NPOと行政が対等に対話するための組織化が始まっている。
<桑原武志(大阪経済大学講師)>
- 四日市市の環境再生にとって、水辺・港とその周辺地域を含めたまちづくりをどう考えるかがである。水辺のガバナンスをどう構築していくか。
- 昨年のヒアリングによれば、三重県は今後、県主導で港湾開発を進めていくことを検討している。四日市市は、財政負担の問題・首長が2年交代制であることの問題があるので、今後、県主導でやっていった方がよいと考えている。
- 四日市市港管理組合を、まちづくりの主体としてどう活用していくか。
3)まとめ
- 四日市の環境再生とは何か、具体的に考える。イメージの共有が必要。
- 川崎と比べ、コンビナートはあまり衰退していない。
- コンビナートがあることを前提にして、水辺と中心市街地を結びつける提案(行政と市民・企業・NPOの協働のあり方、財源の確保)を考えるべき。
- 公害反対運動が幅広い市民運動につながらないのはなぜか。市民はなぜ育たないのか。とくに“市民主体論”について。
以上が、これまでの各部会の検討の中間報告です。
これらの延長線上に「今後の課題」があるわけですが、私は、@市のコミュニティ、行政がどう展開してきたのか? A都市計画の検討………の2点については未着手で、これらと、他の部会とを詰めていきたいと考えています。
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◆「公害病患者の現状と政策的課題」………除本理史(東京経済大学助教授) |
聞き取り調査で様々な問題が浮き彫りに
私どもの部会では住民生活とかコミュニティ問題を広く扱うようにとの課題を与えられていますが、とくにコミュニティの再生を考える上では環境被害の1つの頂点である公害病被害患者の方々の現状から、このまちづくりの問題をどう考えるかということが大きな課題だと考えています。
この間、患者さんの聞き取りを中心に、磯津や塩浜の自治会の関係者の方々、民生委員の方々に聞き取りをしてきました。
調査の概要を報告しますと、期間は2005年5月2日以降、現在も継続中で、昨日も認定審査会の先生方にお話を伺ってきました。内容は文献調査と聞き取り調査で、聞き取り調査の対象は、公害病患者本人(ほぼすべて認定患者)、その家族・遺族、公害反対運動関係者、自治会長、民生委員、市役所、市社協、医師会などです。
現時点までに行なった公害病患者への聞き取り調査対象は患者本人が16人、家族・遺族が14人、計30人です。このうち磯津は、患者本人13人、家族・遺族8人、計21人です。磯津以外(転出者を含む)は、患者本人3人、家族・遺族6人、計9人です。調査対象者は澤井余志郎さんや患者会の紹介によりました。以下、これまでの聞き取り調査の結果です。
写真:四日市でも「公害病は終わっていない」と強調する除本理史さん
<公害病患者の症状と療養の現状(1)>
公害病は「慢性化」してきている
- 近年、とくに1990年代以降、薬剤、治療・症状管理技術の向上により、急性・激症型の患者は減った。これは症状が軽症化したことを意味するのではなく、むしろ症状の経過(発現と進行)が緩やかになったと見るべきである。公害病の慢性化が現在の特徴で、「慢性化」はいまやキーワードの1つだ。
<公害病患者の症状と療養の現状(2)>
療養の長期化の影響:薬の副作用や高齢化による合併症
- 公害病の慢性化→療養の長期化→薬の副作用や患者の高齢化→合併症
ステロイドの副作用(水島の調査):1976〜2000年に死亡診断書が出された認定患者(501例)のうち、33.3%が1回以上、12.0%が2回以上の骨折経験(『公害死亡患者遡及調査』)
- 我々の聞き取り調査:高血圧や胃潰瘍、体調悪化などの薬の副作用を訴える方や、公害との因果関係は不明だが、腎臓病や脳梗塞など呼吸器疾患以外の病気にかかった、あるいはかかっている方が少なからずいた。しかし、そうした合併症あるいは他疾病の治療は、ぜん息発作の予防のために慎重にせざるを得ないこともある。
<公害病患者の症状と療養の現状(3)>
重篤化する患者の存在:長期の療養の末に、症状が重篤化している患者がいることも分かった。
- 肺機能が低下し、在宅酸素療法のために、家中に酸素を吸入するチューブをはりめぐらしている患者(60代男性)
- 気管支ぜん息が重篤化して肺気腫に。在宅酸素療法を受けており、通院(タクシー利用)以外で外出することが困難(70代男性)
<患者の生活困難>
急性・激症あるいは重篤でなくとも、患者は様々な生活困難を抱えている。
- 仕事上の制約
体調が悪くても無理をして仕事を続けているという方が多いが、障害等級を引き下げる要因に。
最近、ぜん息の悪化により、引退を余儀なくされたという方もいた(在宅酸素療法を受けている70代男性)
- 健康問題から生じるその他の制約
仕事以外にも外出(とくに長期の)困難など、公害病患者は生活面で多くの制約を抱えている。実例の1つとして、いつ発作が起こるか分からないので、家のいたるところに携帯用の薬の吸入器を置いている70代の男性がいた。
<塩浜病院の移転に関する問題>
磯津に近く専門的に公害病治療を行なってきた塩浜病院の移転(94年)による、磯津の患者らへの影響
- 急な発作への夜間対応がなくなった。移転後、2年間の経過措置(=夜10時から1〜2時間程度、医師の待機)があったが、現在は廃止。
- 通院先が遠くなり、費用・体力的負担が増加。
- 主治医のいる塩浜病院にいけばよいという条件がなくなり、普段は近くの病院、定期検査などは大きな病院、というように、複数の病院にかからなければならなくなった。
- 塩浜病院廃止だけが原因ではないが、四日市ぜん息に理解のある医師が少なくなっている。そのため、頻繁に医師に症状を説明せねばならず、検査をさせられることもあり、患者にとって体力的に負担になっている。
<社会的な被害>
認定患者への周囲の目線:多くの患者が認定されていうことを周りに隠している。その理由として、病気のことを公言したくないという一般的理由のほかに、公害のために「お金をもらっている」というような妬みや偏見をもった目で見られる。
- このことが1つの要因となり、患者の間には、「被害者が被害を訴えなければいけない」という、いわば逆説的ともいうべき“規範”があるようである。
- 歴史的には、公害問題の「解決」過程で、加害企業により発生源対策に被害者らの関与する余地が狭められてきたことなどが背景にあるのではないか。
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<政策的課題(1)>
市の公害保健福祉事業(リハビリ教室、転地療養事業、家庭療養指導など)について
- 転地療養事業には、@宿泊をともなうため仕事がある場合は参加しにくい。 A外泊の是非につき主治医の診断書が必要。 B年齢上限が80歳とされている、などの制約がある。そのため参加者が毎回十数人程度と、減少・固定化の傾向がある。この傾向は、リハビリ教室でも同様である。一方、随時可能な水泳教室は比較的利用者が多い。
- このように、一部の事業で参加者が減少・固定化する傾向にある現状を踏まえ、患者が気軽に参加できる事業の追加など改善が必要であろう。
- また、この事業の一環として、保健師による家庭療養指導がある。現状では、毎年1名体制で、市内在住の400人以上の認定患者を訪問するため、体制強化の必要がある。
写真:この日は関西・関東を含め120人が参加した
<政策的課題(2)>
障害等級審査における合併症の重症度の参酌
- 認定患者が生活保障的給付である障害補償費を受けている場合は、その額の決定にかかわる障害等級の審査を毎年受けなくてはならない。制度上は、公害病の症状の軽重のみによって、障害等級が決定されることになっているが、現在では、上記のような療養の長期化にともなう影響により、合併症を参酌するか否か、あるいは参酌する場合はどの程度参酌するのか、といった問題が生じている。
- 四日市医師会による他地域へのアンケートによれば、この点に対する対応は、地域により判断が分かれるところである。合併症と公害病の相関を否定できないのであれば、障害等級審査において、この点も考慮されてしかるべきではないか。
<政策的課題(3)>
- 認定患者が死亡した場合、遺族補償額は死因としての公害病の寄与度に応じ差がつけられ、補償額ゼロの場合もある。療養の長期化により合併症が出てくると、それにより死亡した場合、公害病の寄与度をどう判断されるのか、という不安の声がある。また、寄与度がどうであれ、公害病患者として苦しんできたことに違いはないのだから、すべての患者に対してなにがしかの遺族補償がなされるべきだ、という声もある。
- 寄与度の判断は死亡時の医師の診断書に左右されるので、こうした患者らの不安は、公害病に理解のある医師が少なくなっている、という事情によって増幅されている。
この点についても、障害等級審査と同じく、合併症と公害病の相関を否定できないのであれば、遺族補償額の判断において、合併症も考慮されてしかるべきではないか。
- また、公害に起因するとは限らない他疾病が直接の死因であった場合でも、公害病との関係で治療が遅れたり増悪するということも考えられ、そのような観点から、公害病の寄与度が評価されてもよいのではないか。
<政策的課題(4)> 地域福祉の観点から
従来、公害病患者に対しては、制度的な救済として医療費や障害補償費のような金銭的補償が主に行なわれてきたが、福祉的サポートの面から対象者として把握されることはまれであった。
しかし、療養の長期化という現状を踏まえ、介護ニーズなど福祉的ニーズを抱える可能性が高い人たちとして公害病患者を捉え、まちづくりという観点も含めて見守っていく必要があるのではないか。
以上のように、依然として様々な問題点を抱えているというのが実情ですが、地域福祉的観点から見ると、まちづくりということも視野に入れた対策の確立が今後いっそう望まれるのではないか、というのが現時点でのまとめです。
残された時間はあと1年 今後のスケジュール示される 休憩の後、総合司会の遠藤宏一さんから「今後の課題とスケジュール」について説明および提案が行なわれました。
取りまとめのスケジュールとしては―
- 2006年8〜9月………各部会の調査研究期間
- 2006年10〜12月……各部会の研究成果を踏まえた研究会
- 2007年1〜3月………政策提案の議論集約
各論提案と総論提案→提案部分は提案部分だけでまとめる
- 2007年3月 ………各部会、各担当者原稿提出
- 2007年5月をめどに各部会ごとに何らかの報告書等をまとめる
- 2007年7月 ………各部会報告
―という線が示され、現状は部会によっては進捗状況に差があるが、07年7月には各部会の報告をまとめたいので各メンバーは協力してほしいとの提案・要請が改めて行なわれました。
写真:フロアから質問やコメントが相次いで出された
そして、フロアからの質問や意見に司会者が答え、また意見交換が行なわれた後、まちづくり検討委員会の事務局長でJEC事務局長の寺西俊一さんから「残された時間はあと1年になりました。四日市公害判決35周年という節目に、この現場からどういう四日市を目指していくかという方向性を議論し、1つのたたき台を示し、それを地元のみなさんが新たな四日市を目指して活発な議論をしていただければと願っています」と締めくくり、閉会しました。
写真左:フロアからの質問に3人の報告者と司会者が対応した
写真右:「提案は新たな四日市の方向を議論するたたき台にしてほしい」とまとめた寺西さん |
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