2006 12/15 更新分
ほっとぴっくすメニューへ
 宇井純さんの葬儀 おごそかに、盛大に行なわれました

さる11月11日逝去されました宇井純さんの葬儀・告別式が06年11月16日、東京・西五反田の桐ヶ谷斎場で行なわれ、全国から通夜に約400人、葬儀に約300人の人たちが焼香・会葬されました。JECからは来賓代表として柴田徳衛代表理事が弔辞を読み、淡路剛久理事長はじめ約20名のメンバーが焼香・会葬し、お手伝いしました。なお、宇井さんの遺骨は菩提寺である茨城県古河市の鮭延寺に12月17日、四十九日法要の際に納骨されます。

写真左:桑原史成さん撮影による東大自主講座最後のときの写真が遺影として使われた
写真中:生前の宇井さんの言葉を引用し記憶に残る挨拶をされた宇井紀子夫人
写真右:長い付き合いからにじみ出た柴田徳衛さんならではの心のこもった弔辞だった
 宇井君の死、そしてアスベスト、沖縄などに思う
沖縄での現地調査のため、宇井純さんの葬儀に参加できなかった宮本憲一さん(JEC代表理事)から次のような「弔文」が寄せられましたので原文のままご紹介します。

宇井君の死去は残念でした。ちょうど沖縄の調査にいっており、葬儀に参列できず申し訳ないことをしました。奥様には弔辞をおくりました。
環境会議の個人情報におくればよいのですが、筆の方が早いので一筆します。

八月末以来、忙しい日がつづき、やっと今日で一段落しました。八月下旬のアスベスト問題の調査でワシントンとニューヨーク(ニュージャージーのマンヴィル)を訪ねました。結論的にいえば、アメリカは早くからアスベストの被害は社会問題になっているにもかかわらず、被害者の完全救済はおこなわれていず、全面禁止もされていません。近年でもモンタナ州リビィネでアスベスト災害が再燃しています。アメリカ環境庁はアスベスト災害の調査はおこなっていますが、法律がないので救済はしていません。上院が救済のための法律をつくりましたが、認定基準が厳格なこと、基金の金額が少ないということで、被害者団体も反対して、否決されました。マンヴィル市で被害者に会いましたが、いずれもポーランドからの移民で、ここでも差別のあることを感じました。石綿肺で裁判に勝った被害者は賠償が四万五千ドルで、裁判費用や州への返済をいれるとわずかに一万五千ドルを受けとったといっていました。他方で裁判(中皮腫死亡)では二〇〇万ドルの請求もでているようですから、格差もあるようです。いま調査した記録を立命館のグループが整理しています。またリビィにも近いうちに調査にいく予定です。研究者もNGO(ワシントンにあるEnvironmental Working Group)もブッシュ政権は企業側に立っているので、アスベスト被害の救済はできないという悲観的意見でした。そのことばのように10月1日からワシントンの環境庁図書館は人員整理で閉鎖になりました。

ポーランドでおこなわれた第11回のSustainable DevelopmentのEU会議は日本人の参加が多く日本環境会議共催のようなものでした。事務局が大変親切で、前日の日本芸術センター(マンガ館、北斎のマンガです)の小野大使の写真展にはじまり、世界遺産のヴィエリチカ(岩塩の宮殿)見学、環境大臣との会合、アウシュヴィッツの見学、カトヴィチェなどの案内までしてくれたのには感心しました。主催者のドブロブロスキー教授の長い話に少々くたびれましたが、会議の内容そのものはおもしろいものでした。とくに、私が感心したのは、工科大学とソルボンヌ大学と協同でおこなわれていた大気汚染による都市の歴史的遺産と健康被害に関するアセスメントでした。これは最近流行になりはじめたGeographic Information System(GIS)を使って発表したものです。

私はポーランドには、宇井、原田、唐木の三氏と1975年にドブロブロスキー博士の案内で調査したのを皮切りに、1979年ポーランドアカデミー、1986年サマースクール、1990年に秋山、寺西両氏とポーランドアカデミーの招待でいったので5回目ですが、ヨーロッパでももっとも汚染のひどかったこの地域がこの報告を聞いて、画期的に改善されていると思いました。とくに歴史的遺産の保全と人間の健康を同時にとりあげていることが、学際的で地域分析としておもしろいと思いました。
もうひとつは、都市と農村の共生の手段としてエコ・ツーリズムが発展していること、河川を森林、上流部から下流まで総合的に管理するという政策についての報告も興味がありました。日本のエコ・ツーリズムが観光におわっていることにくらべると、ヨーロッパは農業の再生が軸になっており食文化の見直しと総合されていることが印象的でした。

最終日に、ドブロブロスキー教授が全員の起立を求めて都留重人教授と福島要一教授の功績をしのんで黙祷を提案されたのは、突然のことながら感動しました。ポーランドの環境政策については、大臣の直接の説明はすでに要約したものがEメールに出されていますが、英文の報告書をもらっているので改めて紹介すべきではないかと思います。アウシュヴィッツの見学の感動も含めて、いずれ『環境と公害』に紹介されると思います。

沖縄では、基地解放後の跡地利用、基地のない離島経済の自立の状況。公共事業依存の沖縄経済のいまの状況などが今回の調査の目的でしたが、知事選挙直前でしたので、考えさせられることが多くありました。直前の世論調査で基地か経済かという問いかけに対して、基地返還重視40にたいして経済振興60で、選挙の結果を予測させるものでした。これは調査の質問のまちがいで、基地があることによる経済のゆがみ、自立の困難という本質をあやまらせ、基地がなければ経済が振興できぬようにとれるのは世論操作と思いました。マスメディアの認識の浅さをしめすものです。

宇井君の死去は沖縄でも追悼されており、地元二紙はいずれもその功績を紹介し、その死を惜しむ記事や友人の談話をのせていました。以上かんたんに状況報告です。     2006.11.26      宮本憲一

宇井純さんの逝去を報じる沖縄の地元紙、『琉球新報』(左)と『沖縄タイムス』(右)


ほっとぴっくすメニューへ
JEC 日本環境会議